今日は母の日ですね
夫と一緒に実家の母に
お花を送りました。
届くの、今日じゃなくてちょっと遅くなる
みたいだけど。
喜んでくれたらいいなー
私の母は、
とってもお料理上手で
お花を育てるのも上手で
家事全般テキパキとできて、
そういうところは器用なのだけど、
でも、自分の気持ちを言葉に出すのとかは
信じられないくらい下手で、
そういうところはとっても不器用で、
しょうがないなーと思いつつも
なんだか憎めないカワイイ人です。
(一緒にバンコクに行ったとき)
たまにまったく空気を読まない発言をして
私や弟に怒られて、後で落ち込んでたり。
うちの親は会社を経営してたのですが
私が子どもの頃は両親ともに
めちゃめちゃ忙しかったのです。
母は父の会社の仕事をして
3人の子どもを育ててて、
それはそれは忙しかったと思うのだけど、
ちゃんと毎日ごはんを作ってくれてました。
純粋に、すごいなあと思います。
ひとりで全部抱え込んで
まわりに頼れないのが不器用な母らしい。
誕生日はケーキを焼いてくれたり。
私が不登校になったときには
一生懸命に本などを読んで
理解しようとしてくれていたり。
やりたいことには
いろいろお金出してくれてたり。
たくさん手をかけて
愛情をかけて育ててくれたと思います。
でも、子どもの頃の私には
辛かったこともたくさんありました。
例えば、父は母には横暴なのに
私のことは溺愛してたから
母に悪い…といつも思っていたり。
それがいつしか自分の心の中に
しこりみたいになっていって、
昔は母に対して
わだかまりを感じていたこともありました。
ずーっとずーっとずーっと
父の愚痴を私に言ってて
それが私はものすごく辛かったりもしたのだけど、
それでも、父が他界する前数か月は
毎日病院に通って
ふたりの時間を過ごしてたみたいで
ふたりの間にはふたりなりの愛情が
あったんだなと思ったりもしました。
そんなことを思って
子どもの頃の私の思いも
ずいぶんと癒されたものです。
そして、今はもう
わだかまりとかもなくなって
純粋に、ありがたいなーと
思うようになりました。
それは、結局、自分の本音は
「お母さんと仲良くしたい。」
「お母さんが大好き。」ということに
気づいたからかもしれません。
やっぱり、子どもってお母さんが大好きだし
だからこそお母さんに愛されたいし
お母さんと仲良くしたいのですよね。
お母さんにはいつも自分の味方でいてほしいし。
でも、それが叶えられてない気がすると
その悲しみが怒りになってしまう。
自分の本当の本音に気づかずに
「私にこんな思いをさせるお母さんが悪い。」
と思ってしまう。
そして、わだかまりが強くなっていって
しまうのだと思います。
でも、自分の本音に素直になったら
またちょっと違った視点から
お母さんのことを見られるかもしれません。
今これを読んでくださっているあなたのお母さんも
そのときにできる形で精いっぱい
愛情を注いでくれていたのかもしれません。
自分の望むような形ではなかったかもしれないけど。
人間だもの。
いくら親子でも、
100%相手が望むような形で愛情を差し出せて
100%自分が望むような形で愛情をもらうことは
難しいのかもしれません。
私も今は、母は母の思う形で精いっぱい
そのときにできる限りの
愛情を注いでくれていたのだと理解できますが
昔はそうは思えないときもありました。
でも、それでも、自分の本音に気づいたことで
ものすごく楽になったし、
今は、ちょうどいい距離感でいられてるなと
思います。
例え自分が思うような形で
母親からの愛情が得られてなかったとしても、
それでも自分は
「お母さんが大好きで
お母さんと仲良くしたい。」
それでいいじゃないですか。
その本音だけを素直にお母さんに伝えてみるのも
いいかもしれませんよ。
「母の日だから」って理由をつけて
(子どもの頃の両親と私)
これも参考に
子どもの頃の役割を手放す
【1日1新】
石神井公園